神明宮 本殿 1棟

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指定区分
国指定重要文化財
所蔵
神明宮
時代
貞享(じょうきょう)元年
像高・寸法
桁行三間 梁間二間

 国宝仁科神明宮(現大町市)よりやや大型の神明造りである。貞享元年(一六八四)再建の棟札、階(きざはし)の擬宝珠(ぎほうしゅ)に貞享三年の刻銘があって、様式手法からもこの時の建築と見られる。仁科神明宮より僅か後の建築である。
 礎石上に円柱を立て縦横の根搦貫(ねがらみぬき)で固めるなど、また組物、千木(ちぎ)・堅魚木(かつおぎ)の棟飾り(むねかざり)、正面三方に跳高欄(とびこうらん)付の切目繰(きりめぐり)を廻す等々、全国的にも大規模かつ古い時期に属する神明造り本殿である。
 木柄が太く重厚な趣を持つと共に装飾的意匠を備え近世神明造本殿を代表する。神明造の仮殿とともに揃って残るのも貴重である。

神明宮由来

 平安末期、伊勢神宮(内宮)領の麻績御厨(おみみくりや)を鎮護する神社として勧請(かんじょう)されたと伝えられている。その後、荒廃の時期もあったが、天正年間に小笠原氏が当地を治めて以来、社勢を盛り返し、近世には麻績郷十ヶ村の総社として崇敬されてきた。
 麻績郷の地名のおこりが、伊勢神宮と関係を持つ麻績部(おみべ)から発しているようである。「倭名類聚鈔(わみょうるいじゅうしょう)」(九三四年頃)に更級郡麻績郷が載っていたり、「神凰(しんぽう)鈔」(一一九三)には麻績御厨が記載されている。
 このように古来伊勢神宮と関係があって、伊勢神宮は御厨以前から祀られていた可能性がある。
 坂井村古司の北、麻績川右岸に元伊勢社が祀られている。古司の岩井堂の奥、山裾に「お伊勢さんの腰掛石」と呼ばれる巨石があってこれには次のような伝承がある。元伊勢社のある場所は度々川の氾濫をうけるので、腰掛石からみて北正面に見えた山ふところ(現在地)に伊勢社を移したのだとつたえられている。

住所
長野県東筑摩郡麻績村宮本

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