青柳宿

青柳宿(あおやぎじゅく)~麻績宿(おみじゅく)

青柳宿

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正面のY字路を右から青柳宿

善光寺街道、 洗馬(せば)から7番目の三方を山に囲まれた宿場です。JR坂北駅から100m程度行くとY字路でそのまま東へ行くと青柳宿内になります。
戦国時代の青柳氏の居館を中心にした城下町が宿場の原形となり、「五丁(約550m)程相対して 巷まちをなす」といわれた小宿場です。清長寺は青柳氏の菩提寺で一族の墓があります。

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用水路
宿場は坂になっていて、段差のある石垣の上に屋敷が建てられており、水路がその石垣の下をくぐり抜け、石垣の中から流れ出る様は他の宿場では見られません。

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本陣跡
宿場の最上部付近に本陣だった「青柳八郎右衛門」邸があり、黒門の扉は往時のものとのことです。

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大切通し

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手ノミの跡
現在は長さ27m・幅3.3m・高さ6m

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大切通しから300m程度、麻績方面に進むと小切通しです。
 長さ3間3尺(6.4m)・幅9尺(2.7m)・高さ8尺(2.4m)。

大切通しは天正8年(1580)に青柳伊勢守頼長によって一丈(約3m)開削され、その後、水野氏が享保元年(1716)、飯島代官所が明和6年(1769)、松本役所が文化6年(1809)と3回に渡って切り拓かれ下記に記されるように便利になりました。
「是に 依よりて、 旅人并たびびとならびに牛馬の 往来聊おうらいいささかも 煩ハわずらわしき事なく、野を越え山を越つつ麻績宿に至る」(善光寺道名所圖會)

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昔、この石にしがみついた娘が嫁入りを嫌がって泣き続け息絶えたという伝説があり、大正期まで嫁入り行列はこの石の前を避けたといわれます。

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下井堀一里塚跡と稲荷社

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一口坂

洗馬から12番目の一里塚があったところです。麻績宿の中心部へはあと1.5km。
すぐに善光寺道は国道から離れ、一口坂になります。
「麻績合戦(治承4年 1180)に向かう木曽義仲の軍馬が、この坂を登り笹を一口食べて元気を取り戻した」ことから一口坂と呼ばれるようになったとか。

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