聖湖~のぞき
聖湖からのぞきまでの約2kmは善光寺街道を歩きます。

猿ヶ馬場峠(さるがばんばとうげ)
善光寺街道には南から刈谷原峠(かりやはらとうげ)(1,020m)、立峠(たちとうげ)(998m)、そして最後の難所といわれた猿ヶ馬場峠(980m)の三つ大きな峠があります。
念仏石

ここに来て初めて善光寺平が望めたとあって旅人は感極まり念仏を唱えたといいます。
一説に、夜になるとチンチンと鉦の音と念仏を唱える声が聞こえてくるといわれています。
馬塚

ここはかつて市野川村の馬捨場。
峠の境界では麻績側と八幡側との争いが絶えませんでした。
馬塚は麻績側の領有根拠となりましたが、石を積み上げた塚は林道の開通にともなって取壊されました。
猿飛池

火打石茶屋跡

火打石で有名な名月屋があり、武水分神社(たけみずわけじんじゃ)の神燈は「此処の石を以て火を改むる」と記されているといいます。
「をばすては これからゆくか かむこどり」の芭蕉句碑が立てられていたといいます。
中原一里塚

火打石茶屋跡から300m下ると、中原一里塚に至ります。説明板には「火打石の一里塚」とありますが、この付近の地名から中原一里塚と表記します。
洗馬から14番目、すなわち約55kmであることを教えてくれます。
残っているのは東側(善光寺に向かって右手)。説明板には直径6m、高さ3m(谷側からの高さ)と、江戸幕府の規格からすると小ぶりの塚で、塚木はありません。
善光寺道で唯一現存する一里塚です。
のぞき

善光寺道と姨捨への分岐点、姨捨駅まで約3.7km、桑原間宿へは約4km。
ここには簡単な望遠鏡が据付られていて、善光寺の本堂をとらえていたという。旅人は幾らかの銭を払って覗いたことから「のぞき」と呼ばれるようになったようです。
ここには簡単な望遠鏡が据付られていて、善光寺の本堂をとらえていたという。旅人は幾らかの銭を払って覗いたことから「のぞき」と呼ばれるようになったようです。