麻績宿|善光寺街道ウォーキング

更新日:2021.03.04

カテゴリ:観る

麻績宿(おみじゅく)

洗馬(せば)から8番目の宿場で、古代から官道の宿駅として発達し、戦国時代には麻績服部氏の城下町として発展しました。
麻績宿が正式に宿場となったのは慶長18年(1613)のことで、安政初年(1853)頃には本陣1軒、問屋2軒、旅籠屋29軒、東西約6町35間(710m)だったといわれています。

麻績宿風景

麻績宿の入口 叶里(かのり)付近
この交差点を左へ約3km登って行くと「シェーンガルテンおみ」(麻績村営の宿泊施設)です。

駒が石

a013木曽義仲軍の勢いが強く、軍馬の通過した後、路上の石に 蹄(ひづめ)の跡が残っていたことから、後にこの石を「駒が石」と呼んだとのこと。

ガッタリ

ガッタリ写真木曽義仲の愛馬が長途の旅の疲れから、ここで「ガッタリ」と膝を折ったと言うので、このあたりの地名になったといわれています。

叶里塚古墳

叶里塚古墳写真

姨捨山冠着宮遥拝所

姨捨山冠着宮遥拝所の絵

姨捨山(おばすてやま)冠着宮(かむりきぐう)遥拝所(ようはいじょ)。
遥拝所とは遠くから拝む場所のこと。本来、姨捨山の月とはこの地から見た月をいう。

瀬戸屋(脇本陣跡)

瀬戸屋(脇本陣跡)写真

安政7年(1860)から本陣をめぐる紛争が発生し、この瀬戸屋も本陣を名乗りました。

麻績宿中心部

麻績宿中心部写真

法善寺 聖観音

法善寺聖観音の絵

法善寺(ほうぜんじ)聖観音(ひじりかんのん)。
御詠歌「 逆縁さかえんも漏らさですくう 西谷にしたにの巡礼塔をおがむとうとさ」

麻績神明宮

麻績神明宮の絵

平安末期から麻績御厨(みくりや)として伊勢神宮の荘園でした。
貞享元年(1684)造営の本殿はじめ5棟が国の重文となっています。

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アクセス

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