麻績宿(おみじゅく)
洗馬(せば)から8番目の宿場で、古代から官道の宿駅として発達し、戦国時代には麻績服部氏の城下町として発展しました。
麻績宿が正式に宿場となったのは慶長18年(1613)のことで、安政初年(1853)頃には本陣1軒、問屋2軒、旅籠屋29軒、東西約6町35間(710m)だったといわれています。
麻績宿の入口 叶里(かのり)付近
この交差点を左へ約3km登って行くと「シェーンガルテンおみ」(麻績村営の宿泊施設)です。
駒が石
木曽義仲軍の勢いが強く、軍馬の通過した後、路上の石に 蹄(ひづめ)の跡が残っていたことから、後にこの石を「駒が石」と呼んだとのこと。
ガッタリ
木曽義仲の愛馬が長途の旅の疲れから、ここで「ガッタリ」と膝を折ったと言うので、このあたりの地名になったといわれています。
叶里塚古墳
姨捨山冠着宮遥拝所
姨捨山(おばすてやま)冠着宮(かむりきぐう)遥拝所(ようはいじょ)。
遥拝所とは遠くから拝む場所のこと。本来、姨捨山の月とはこの地から見た月をいう。
瀬戸屋(脇本陣跡)
安政7年(1860)から本陣をめぐる紛争が発生し、この瀬戸屋も本陣を名乗りました。
麻績宿中心部
法善寺 聖観音
法善寺(ほうぜんじ)聖観音(ひじりかんのん)。
御詠歌「 逆縁さかえんも漏らさですくう 西谷にしたにの巡礼塔をおがむとうとさ」
麻績神明宮
平安末期から麻績御厨(みくりや)として伊勢神宮の荘園でした。
貞享元年(1684)造営の本殿はじめ5棟が国の重文となっています。