神明宮 仮殿 1棟

神明宮 仮殿
神明宮 仮殿
神明宮 仮殿
指定区分 国指定重要文化財
所蔵 神明宮
時代 宝暦十年
像高・寸法 桁間三間 梁間二間
住所 長野県東筑摩郡麻績村宮本

本殿に比べて一回り(ひとまわり)小規模な神明造りで、虹梁(こうりょう)・組物・木鼻(きばな)などがなく簡素である。宝暦十年(一七六〇)造営の棟札のほか振舞覚の板札二枚が残り、擬宝珠(ぎほうしゅ)に安永二年(一七七三)の刻銘がある。
仮殿正面に接して桁行一間、梁間一間の幣殿(へいでん)が建つ。屋根は切妻造り、妻入として、正面に切妻造りの向拝(ごはい)がついている。礎石上に角柱を立て組物は用いていない。背面の柱は仮殿の木階を欠き込んで立つが、旧仕口から、もとは太い柱であったことが判る。
現幣殿は江戸時代末期の再建と考えられる。仮殿は本殿修理改築等の折、御神体を一時安置する御殿である。

  • 虹梁:神社の梁で虹のように曲がっているもの。
  • 組物:組み合わせたもの。
  • 木鼻:社寺建築で頭貫(かしらぬき)・肘木(ひじき)・虹梁などの端が柱の外側に突出した部分。(握り拳・象・獅子などにかたどった彫刻が施される。)

神明宮由来

平安末期、伊勢神宮(内宮)領の麻績御厨(おみみくりや)を鎮護する神社として勧請(かんじょう)されたと伝えられている。その後、荒廃の時期もあったが、天正年間に小笠原氏が当地を治めて以来、社勢を盛り返し、近世には麻績郷十ヶ村の総社として崇敬されてきた。
麻績郷の地名のおこりが、伊勢神宮と関係を持つ麻績部(おみべ)から発しているようである。「倭名類聚鈔(わみょうるいじゅうしょう)」(九三四年頃)に更級郡麻績郷が載っていたり、「神凰(しんぽう)鈔」(一一九三)には麻績御厨が記載されている。
このように古来伊勢神宮と関係があって、伊勢神宮は御厨以前から祀られていた可能性がある。
坂井村古司の北、麻績川右岸に元伊勢社が祀られている。古司の岩井堂の奥、山裾に「お伊勢さんの腰掛石」と呼ばれる巨石があってこれには次のような伝承がある。元伊勢社のある場所は度々川の氾濫をうけるので、腰掛石からみて北正面に見えた山ふところ(現在地)に伊勢社を移したのだとつたえられている。

この記事へのお問い合わせ

教育委員会

長野県東筑摩郡麻績村麻3836 麻績村地域交流センター

電話番号
0263-67-4858
Fax番号
0263-67-1023
メール
omi-kyoi@vill.omi.nagano.jp

※対応時間:8時30分~17時15分(土,日,祝日を除く。)

※受付は24時間行っておりますが、お返事は業務時間内になることをご承知おきください。