神明宮 拝殿 1棟
指定区分 | 国指定重要文化財 |
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所蔵 | 神明宮 |
時代 | 天保十年 |
像高・寸法 | 桁間三間 梁間三間 |
住所 | 長野県東筑摩郡麻績村宮本 |
切妻造りで木柄が太く簡素な建物である。軸部の高さが強調された外観に特色がある。
土台上に円柱を立て、腰長押(なげし)、内法(うちのり)長押を廻す。
正背面は各柱間(はしらま)を広くし、内法上の高い小壁に円束(えんずか)を立てる。組物は用いず太い妻梁(つまはり)と桁を折置きに組む等々、妻、軒、側柱、柱間装置、格子戸など念入りで当時の建築を留めている。
背面中央間は開放とし幣殿に接続する。屋内には畳敷、竿縁天井(さおぶちてんじょう)である。
神明宮由来
平安末期、伊勢神宮(内宮)領の麻績御厨(おみみくりや)を鎮護する神社として勧請(かんじょう)されたと伝えられている。その後、荒廃の時期もあったが、天正年間に小笠原氏が当地を治めて以来、社勢を盛り返し、近世には麻績郷十ヶ村の総社として崇敬されてきた。
麻績郷の地名のおこりが、伊勢神宮と関係を持つ麻績部(おみべ)から発しているようである。「倭名類聚鈔(わみょうるいじゅうしょう)」(九三四年頃)に更級郡麻績郷が載っていたり、「神凰(しんぽう)鈔」(一一九三)には麻績御厨が記載されている。
このように古来伊勢神宮と関係があって、伊勢神宮は御厨以前から祀られていた可能性がある。
坂井村古司の北、麻績川右岸に元伊勢社が祀られている。古司の岩井堂の奥、山裾に「お伊勢さんの腰掛石」と呼ばれる巨石があってこれには次のような伝承がある。元伊勢社のある場所は度々川の氾濫をうけるので、腰掛石からみて北正面に見えた山ふところ(現在地)に伊勢社を移したのだとつたえられている。
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