神明宮 神楽殿 1棟
指定区分 | 国指定重要文化財 |
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所蔵 | 神明宮 |
時代 | 元禄十一年 |
像高・寸法 | 桁間三間、梁間三間 |
住所 | 長野県東筑摩郡麻績村宮本 |
切妻造りで四方吹放しの建物である。社蔵の破風板先飾金具二点に、元禄十一年(一六九八)の刻銘があり、虹梁絵様からもこの時の建立とみてよい。
その後棟札により天明三年(一七八三)に修復があった事が知られる。最初は拝殿の正面付近にあったが、天明三年の修復の折現在の地に曳屋されたと伝えられている。舞台に対して上席の客席としての機能が付与されたと思われる。
屋根は昭和四十二年鉄板で覆われたが内に茅を残す。
神明宮由来
平安末期、伊勢神宮(内宮)領の麻績御厨(おみみくりや)を鎮護する神社として勧請(かんじょう)されたと伝えられている。その後、荒廃の時期もあったが、天正年間に小笠原氏が当地を治めて以来、社勢を盛り返し、近世には麻績郷十ヶ村の総社として崇敬されてきた。
麻績郷の地名のおこりが、伊勢神宮と関係を持つ麻績部(おみべ)から発しているようである。「倭名類聚鈔(わみょうるいじゅうしょう)」(九三四年頃)に更級郡麻績郷が載っていたり、「神凰(しんぽう)鈔」(一一九三)には麻績御厨が記載されている。
このように古来伊勢神宮と関係があって、伊勢神宮は御厨以前から祀られていた可能性がある。
坂井村古司の北、麻績川右岸に元伊勢社が祀られている。古司の岩井堂の奥、山裾に「お伊勢さんの腰掛石」と呼ばれる巨石があってこれには次のような伝承がある。元伊勢社のある場所は度々川の氾濫をうけるので、腰掛石からみて北正面に見えた山ふところ(現在地)に伊勢社を移したのだとつたえられている。
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