神明宮 舞台 1棟

神明宮 舞台
神明宮 舞台
神明宮 舞台
指定区分 国指定重要文化財
所蔵 神明宮
時代 天明三年
像高・寸法 桁間八間 梁間四間
住所 長野県東筑摩郡麻績村宮本

境内南方にある、寄棟造(よせむねづくり)の建物で北面する。客席となる舞台の前面は南下がりの緩斜面である。屋根は寄棟造茅葺で天明三年(一七八三)造立の棟札がある。
平面は中央六間分を舞台とし、正面両脇に方一間の大夫座を設ける等々、芝居等催す場合の装置が十分考えられた造りである。なお二重の床下は奈落(ならく)として大道具の収納や楽屋として用い、背面西から二間(ま)目を出入り口とする。舞台は年代の明らかな農村舞台として全国的にも古い例である。舞台の建物は天明三年の全国的大飢饉(ききん)の時であったのに、これだけ立派な建築が出来たのには、住民の熱意がうかがわれる。
拝殿、神楽殿も含めて茅葺屋根の形態を伝える社殿郡が良好に保存されて、地方における江戸時代の神社の姿をよく伝えており、一括して保存をはかるべき建築物である。

神明宮由来

平安末期、伊勢神宮(内宮)領の麻績御厨(おみみくりや)を鎮護する神社として勧請(かんじょう)されたと伝えられている。その後、荒廃の時期もあったが、天正年間に小笠原氏が当地を治めて以来、社勢を盛り返し、近世には麻績郷十ヶ村の総社として崇敬されてきた。
麻績郷の地名のおこりが、伊勢神宮と関係を持つ麻績部(おみべ)から発しているようである。「倭名類聚鈔(わみょうるいじゅうしょう)」(九三四年頃)に更級郡麻績郷が載っていたり、「神凰(しんぽう)鈔」(一一九三)には麻績御厨が記載されている。
このように古来伊勢神宮と関係があって、伊勢神宮は御厨以前から祀られていた可能性がある。
坂井村古司の北、麻績川右岸に元伊勢社が祀られている。古司の岩井堂の奥、山裾に「お伊勢さんの腰掛石」と呼ばれる巨石があってこれには次のような伝承がある。元伊勢社のある場所は度々川の氾濫をうけるので、腰掛石からみて北正面に見えた山ふところ(現在地)に伊勢社を移したのだとつたえられている。

この記事へのお問い合わせ

教育委員会

長野県東筑摩郡麻績村麻3836 麻績村地域交流センター

電話番号
0263-67-4858
Fax番号
0263-67-1023
メール
omi-kyoi@vill.omi.nagano.jp

※対応時間:8時30分~17時15分(土,日,祝日を除く。)

※受付は24時間行っておりますが、お返事は業務時間内になることをご承知おきください。