青柳頼長寄進状 外2

青柳頼長寄進状
青柳頼長寄進状
青柳頼長寄進状
指定区分 村指定有形文化財
所蔵 神明宮
時代 戦国時代
住所 長野県東筑摩郡麻績村宮本

戦国時代の天文二十二年(一五五三)四月、武田晴信が筑北地方に進攻したとき、青柳城主青柳小四郎清長は降服し、麻績城主服部(はっとり)清正は城を捨てて越後に走った。清信は青柳小四郎に麻績地方まで支配させた。この頃上杉勢と武田勢の攻防が続いた。
麻績地方を支配した青柳小四郎は社領百貫文を神明宮に寄進した。即ち天文二十三年(一五五四)二月二十五日の寄進状である。その後弘治・永禄・元亀・天正年間まで約三十余年上杉・武田の勢力の攻めぎ合いの中で、筑北の豪族の浮沈があり、天正十二年(一五八四)上杉・小笠原の激しい戦いが終わると筑北地方にも小康状態が訪れた。
青柳清長の子頼長は旧領青柳・麻績両城を得た。さっそく、荒廃した社寺の復興に着手した。その年の五月麻績神明宮に六反の神田を寄進した。同年七月に福満寺に六貫五百文の地を寄進した。天正十二年叶里・田中・市野川各神社に社領寄進の文書また同十五年神明宮神官への挨拶及び神子分(かみこぶん)寄進の文書を送った。この寄進によって各神社・寺院が荒廃から救われる力となった。

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